20代

スポーツ観戦が楽しくない

閲覧数4398 回答返信数2 投稿日時2021.4.22 8:09

友人がスポーツ観戦が趣味で付き合うことが多いのですが、私は正直心の底から楽しめません。理由としては小さい頃からスポーツを続けてきたのに活躍できなかった自分と、スポーツの才能に恵まれてスポーツの場でスポットライトを浴びる選手と比べてしまうからです。私の中ではスポーツをやるからには主力選手として活躍せねば、活躍できない人間は価値がない人間て思ってやってきましたし、両親もそういう考え方でした。今でも街中で運動が得意な人と私を比較して両親は「昔のあなたは運動がダメだった」と言ってきて、運動が得意な人を見るとダメな自分と比較してしまいます。友人はスポーツを楽しむものだと言ってくれますが、下手なのに運動をやってると馬鹿にされてないか気になってしまい、趣味の運動も上手くできてるか常に気にしてしまいます。そのため運動で結果を出せてるスポーツ選手を見ると自分を馬鹿にしてるのではないかと気になってしまいます。気にしすぎなのかもしれませんが、みなさんはスポーツ観戦しても楽しめるのでしょうか。

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  • 投稿日時2021.4.22 08:09
    もふさん、こちらも遅くなり申し訳ありません。

    「運動」は楽しいですよ。やるのではなく「見ること」も。私は自他ともに認める運動音痴で、小中高時代は常に補欠でした。情けなく、私も同様に「価値がない」ものと思ってしまいました。

    名前は忘れてしまったのですが、ある画家の先生(名前忘れたのでA先生とします)の絵には、例えば少年野球の絵がよく描いてあります。しかし、必ずA先生の絵には背番号が3ケタの選手が登場して、その子はいつも楽しそうです。野球で3ケタ番台の背番号は、補欠です。でも、A先生は試合に決して出ることもない補欠の選手を同じように絵の構図の中に登場させ、ピッチャーや4番などエリートの選手と同様に生き生きと描いているのです。そして、この絵を見る人たちを和ませてくれています。おそらく、4番でエースだけが登場する絵なら、ほとんどの人にとってこの絵は心に残らないと思います。

    私達は、小さい頃から勝利至上主義で、運動が得意でない人は、居心地すら悪くなってしまいます。しかし、日々の日常は、エリートも、補欠も同じ場面に登場させ、作られていて、社会が成り立っているのです。どうか勝ち負けという結果で判断するのではなく、人との比較をするのではなく、補欠なら補欠でバットやボールを拾うことで役に立てるし、エリートが伸び悩んでいる悩みに寄り添うこともできる。価値がない人なんか、一人もいません。もふさんは「勝利」という結果にこだわらず、別の視点でスポーツを見て楽しんでみましょう。そして、7月のオリ・パラ、(私は運動音痴なりに)楽しみにしましょうね。
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  • 投稿日時2021.5.4 16:30
    私もスポーツ観戦には全く興味がなくなってしまいました。サッカーやプロ野球を多少見ていた時もあったのですが…

    単純に、忙しいからという理由もありますが、忙しくてもやっていることもあることを考えると、正直魅力を感じないからなのだと思います。スポーツ中継を見るくらいならゲーム実況などのほうがおもしろいなーと思って、時間があればそっちの方が見たいくらいです。

    と、いうことで、つまらないものはつまらないのでしょうね!私もオリンピックやフィギュアスケート、バレーなど、母親が熱心に見ている横で、冷めた目で見ているような子供でした。(笑)

    ただ、私ともふさんとでは理由が違いますよね。
    私は興味が湧かない。これは嫌いなのではなく無関心で、本当に興味がない。なので嫌いとすら思わないのです。
    もふさんは嫌悪に近いような感じがしますよね…お話を聞く限りなので勝手な決めつけになっていたらすみません。

    もしかすると、もふさんが本当はスポーツに対するなんらかの思いに未だに苦しんでいるからなのかもしれません。それがほぐれるまでは、嫌いだと思ってしまうでしょうし、嫌な気持ちになってしまうと思います。嫌になるくらいならきっぱりと観戦も断り、しばらく離れてみるのが心が楽になるかもしれません。
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