30代

一番の希望が一刻も早く死ぬこと

閲覧数918 回答返信数5 投稿日時2023.12.28 23:37

女性の悩み相談サイトで相談するのにはそぐわないような悩みですが、かれこれ20年以上向き合っていることに対して、顔の見えない関係の人がどう答えてくださるのかということに興味があり、投稿させていただきます。

10代にありがちだとされるような死への執着が30代になっても消えません。

初めてうつの診断を下されてから、もう20年ぐらい経とうとしますが、うつ症状から希死念慮が出ている時もあれば、人生観というか死生観というかそういったものから死にたいと思う時もあるように感じています。前者であれば精神科の治療がうまくいっている間は死にたいと思わないはずだと思うのですが、抑うつ的でない時ですら、とっとと死にたいなと思うというのが私の体感です。

10代から死にたいと思っていても今まで死なずにきたじゃないか、と言われるかもしれませんが、死のうと試みたことは数知れずあります。なるべく迷惑のかからない方法を選んでしまった結果、今に至るまで死ねなかったというのが実際のところです。

達成したいこと、やりたいことを考えても、ダントツの1位が死ぬことで、つい最近まで2位のものがあり、自殺を試みる段階での唯一の心残りでしたが、先日無事に達成してしまったので、もう心残りに思うこともありません。達成したいとまで強い意志をもって臨めるものは死ぬことの他にはなくなりました。

仮に死ねなかったら、次に試みるエネルギーが蓄積するまでの時間潰しにこれやってもいいのかなと思うサブオプションはいくつかありますが、それを無理して頑張ってやるつもりもありません。

精神科でこの話をしても、「荷下ろしうつ」とまたしても「うつ」に結びつけられましたが、特に鬱々としている訳でなく、何かをするのにとんでもない難しさを感じる訳でもないので、何となくしっくりきていません。

周りの人が自分で死を選ばないことを前提にするのは、それが社会や周りの人にとって都合がいいからじゃ、とまで考えてしまい、周りが敵のように思えてしまうこともあります。

考える時間があることによって死に傾くという法則性までは掴んでいますが、一度何かを始めると過集中気味になり、結果的に気を抜いた瞬間に無意識のうちに死のうとしていたことも何度かあり、もう本能的に死を選ぶようにセットされているならそれが答えじゃないかとすら思えます。

回答一覧

  • 投稿日時2023.12.29 00:05
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    メンター ニコハナ 40代
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    みちさん、はじめましてニコハナです

    みちさんは、長い間死というものと向き合ってこられたのですね

    みちさんご自身の考え方や思いが、とても哲学的というか文学的というか…小説を書いたら太宰治のような文豪になれるのではないかと感じてしまいました

    私は、みちさんの育った環境やご家族がどのような方達なのか、ご相談内容からは読み取れないのでわかりません

    でも、もし、みちさんが私の子供だったら、そんな思いをしながら30年間生きてきたなんて、とてもショックですし、いたたまれない気持ちになります

    生きている事、それはもちろん自分のため
    自分がどんな人生を送りたいのか、自分の人生にどのようなビジョンを持って生きていくのか
    自分の人生なので自分軸の考え方でも良いかと思います

    でも、生きていく中で多くの人が、みちさんに関わってきたと思います
    みちさんは、みちさんの人生ですが、他の人の人生にみちさんも知らないうちに関わっています

    今、みちさんからのご相談内容に回答している私も、私の人生にみちさんという人が加わりました

    私はみちさんに簡単に死を考えて欲しくないです
    なぜなら悲しいから

    客観的に…哲学的に死について語れる状態になってしまうに至った、今までの人生…辛いことや嫌なこと…私の想像を絶することを経験されてきたのでしょうか?

    今の考えに至る1番初めの原因やきっかけは何でしょうか?

    教えてもらえませんか?

    そして、死ではなく生について考えていきませんか?

    達成したいことやりたい事の2位とは何だったのでしょうか?

    みちさんのことを色々教えてくれませんか?
    お返事をお待ちしています^ - ^
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    • 投稿日時2023.12.29 00:49
      ご返信ありがとうございます。

      文学的、哲学的と言ってくださったことで、ショーペンハウアーを曲解したとニーチェに批判されるフィリップ・マインレンダーという詩人・哲学者のことを思い出しました。彼の遺した著作に強く共感を覚え、このまま読み続けると、彼や、彼に共感した芥川と同じような人生の終え方をすると思い、いったん読むのをやめたのでした。

      私が一番初めにこんなふうに考えるようになったのは、小6の時だったかと記憶しています。学校の検診で、ある臓器に異状が指摘され、わからないながら自宅にあった『家庭の医学』で臓器の名前だけを手がかりに調べて、「がん」の文字を見つけ、「あぁ、死ぬのか。じゃあ、いま死のう」と初めての未遂をしました。結局、その異状は人よりちょっとその臓器のチェックをまめにすれば良いという程度のもので、今に至るまでその臓器に問題はありません。ですが、自分が死ぬ可能性があるとわかった時に自分の意志で死のうと思うのが、その後に通ずる何かがあるようには感じています。

      その後、10代は死を拠り所にすることで何とか生き延びました。

      中学がいま風に言えば超ブラックで、ある同級生をいじめようとする「友達」がいた時に「その子をいじめる理由が私にはないからいじめない」と言って加担しなかったら、担任から呼び出され、事情を話しても「あなたは協調性がないわね。一緒にいじめるのが協調性よ」と言われるのみでした。他の先生に相談しても無駄でした。親に「学校に行きたくない」と言いましたが、それも全否定されました。それにより、人を無条件に信じることができなくなりました。

      その後、周りの環境がマシになったこともありましたが、うつを発症してから、多くの人が離れていくのを経験して、他人と関わるのが怖くなりました。怖いと言っても、表面上取り繕うことはできますし、付かず離れずの人間関係はあります。ただ、私が思っていることを話した瞬間に、だいたいの人は離れていくんだろうと思っています。

      他人を信じなくても自分を信じられればまだマシなのでしょうが、ある意味自分自身が一番信用ならない存在だと感じるようになっていきました。

      その過程を経て、10代の頃は死を拠り所にすることで生き延びたはずが、死に飲み込まれるようになったんだなと分析しています。
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    • 投稿日時2023.12.29 09:16
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      メンター ニコハナ 40代
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      みちさん、お返事ありがとうございます

      小学6年生で病気といわれ、自分はどうなってしまうのだろうかとすごい不安を経験されたのですね
      辛かったですね

      中学では、どう考えてもみちさんの考えが合っているのに、倫理に反したことを先生に押し付けられ、混乱したことだと思います
      こんな事をされては学校に行きたくなりますよね

      今までの人生の経験から次第に死というものに逃げてしまうようになったのですね…

      みちさんは、子供の時から本をよく読み、何か知らないことやわからないことがあるとご自分で色々調べていたようですね

      周りに頼ることなく、ご自分で結果を見つけて自己完結する事が多かったのではないですか?

      ご相談の文章の成り立ちがきちんとされてますし、ショーペンハウアー、ニーチェ、フィリップ・マインレンダーなどをご存知で、博識ですね
      IQが高いと子供の時から言われていませんか?

      他の人より深く、また違う角度から考えられることから、人生を普通の人以上に深く見つめてしまっているのではないでしょうか?
      辛いですよね…苦しくないですか?

      周りに頼って良いんですよ

      1人で頑張ろうとしなくて良いんです

      みちさんからしたら、周りが頼りなく感じるかもしれませんが、一人一人が違う考え方やスキルを持ってます。是非頼ってください。必ず手を差し伸べてくれる人がいます

      せっかく多くの知識を持っていらっしゃるのだから、何かそれを活かせる事を考えて行動してみませんか?

      みちさんは、知的であるのに、自己肯定感が低いのかな?と感じました

      もったいないです

      「哲学者達に共感した芥川と同じような人生の終え方をすると思い、いったん読むのをやめたのでした。」

      それで良いんです

      先人達の経験を元に、みちさんには、みちさんなりの充実した人生を送っていただきたいです

      自分の能力や良いところをたくさん認めてあげてくださいね^ - ^

      少しでも死への固執が和らぐ事を願っています
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    • 投稿日時2023.12.29 13:30
      お返事ありがとうございます。

      昔から周りの人の「普通」から一歩離れたところにいたような気がします。何が「普通」かはわかった上で、それでもそれを受け入れられないのに、変な人と思われない程度の「普通」はこなしつつ、それは自分の真意に反することが多かったです。

      自分のありのままを見せて受け入れてくれる人はいないのではないかと、いつしか相手の反応を先回りして当たり障りのないことしか言わないしないようにしてしまう癖がつきました。

      自分の中に硬い核を作ることで自分を守り、周りには「普通」であるかのように振る舞い、それによって、心理的な部分ではあまり周りに頼らないようにするしか術がありませんでした。

      私が死を語ることでニコハナさんが悲しいという反応を見せたように、多くの人にとって死は負の感情を伴うものだとは理解しているので、他人をそれに巻き込みたくないと思っています。相手にそういった感情を抱かせないためにも、自分がそれに触れて傷ついたり自分を責めたりしなくて済むようにするためにも。

      それは専門職の人でも同じだと感じています。結果的に、煮詰まりきって、簡単には解きほぐせない段階になるまで、あるいは解きほぐすことすら諦めるほどに、自分で抱え込む傾向にあります。

      ただ、問題は、抱えきれなくなる時があるというところです。物理的な孤独以上に、精神的な孤独が強いように感じています。普段はそれでいい、仕方ないと思えていますが、耐えきれなくなることもあります。

      何度か心理検査を受けたこともありますが、どの結果においても他者指向性がかなり強い方ではあるらしく、確かに、他人がどうでもいいと思える訳でもありません。人それぞれ異なる考え方、能力があることは日々感じていますし、人それぞれ何かしらの良いところを持っていてすごいなと思っています。

      そして、その時、ご指摘の通りの自己肯定感の低さから、自分のしょぼさに目がいきます。生きている以上逃れないようのない自己の存在が疎ましくて仕方ないと思ってしまいます。

      やれることはやってきたつもりなんですけどね。

      相談に乗っていただき、ありがとうございました。
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    • 投稿日時2023.12.29 15:09
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      メンター ニコハナ 40代
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      みちさんのお役に立つようなご回答が出来てないようですね…力不足で申し訳ないです

      みちさんの今までの人生が、今の客観的過ぎてしまう考えを作り上げてしまったのでしょうか

      みちさんを抱きしめてくれる人、全てを認めて受け入れてくれる人は家族にもいらっしゃらないのですかね…

      私はみちさんを抱きしめてあげたいです

      私は専門家ではないので、このサイトの右上に色んな専門家によるリンクが貼られてあります

      良かったら、そちらのサイトも利用してみてください

      また、このカフェで他にも相談に乗ってくれる人が沢山いますし、もちろんこんな私でも良ければ、引き続きお話を伺う事ができます

      何か心に引っ掛かることやモヤモヤする事があったらお気軽にお越しくださいね^ - ^
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