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私を怒ってくる人は本当に母親なのか?

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こんにちは。こんこんです。
少し間が空いてしまいましたが、前回の続きです。

悩みが発生する時ってどんな時なのでしょう。
前回のブログで、「矛盾した2つ以上の事を抱えた時に発生する」
と書きました。

私の場合は、母親との関係で悩むことが多かったのですが、
 〇母に嫌われたくない
 〇自分がやりたいと思ったことをやりたい
が両立できなかった時に苦しかった記憶があります。

そして、当時は『苦しい』ということに全く気がついていませんでした。
認めたくはないのですが、私はやっぱり母親のことが好きなんです。
というか、愛されたいのです。

でも、怒られたり否定されたという記憶しかなくて

 怒られた → 私は愛されていない
 否定された→ 私は愛されていない

と無意識下で受け止めていたようです。

それで、
「愛されるには怒られないように、母親に従っておこう。」
が発動して苦しんでいました。

これ、そもそものところでボタンの掛け違いが起こっているのですが
分かりますか?

  怒られた → 私は愛されていない

の所が違いました。

「怒られようが何だろうが私は母から愛されていた」
と書くと若干違うような気もしますが、
(母には母のしがらみとか歴史とかがあるので)
なんでしょう、
「怒られようが何だろうが私は母から愛されていた」
とか
「怒られたことと、私が愛されているかどうかの間に因果関係はなかった」
が事実に近いんだ、ということが腑に落ちるまでかなり時間がかかりました。

途中で、
「もうお母さんに嫌われてもいいや! 知らね!」
と極端なことを何度も思ってはいるのですが、
実際に振り切るまでには30年以上かかってしまいました。

振り切るまでのネタは色々あるのですが、
(結婚式のドレスについて母親の意向を汲もうとしすぎてコーディネーターさんに諭された(?)とか、
一人目出産後は実家でのんびりしようと思ったけど、
喧嘩しすぎて滞在を切り上げて帰ったとか)
今は本当に『ネタ』という感じで、悲壮感漂わせずに笑えます。

さて、どうやって私は

 怒られた → 私は愛されていない

の箇所を修正できたのでしょうか。

現実ってそんなにきれいに説明できないもので
ストーリーが繋がってないように思われるかもしれませんが、
2人目の子供を妊娠した時、私の体力の限界が来てしまって、
素直に母親にヘルプを頼めたことが、私の思い込み
を修正する大きなきっかけになりました。

 

つづく