広がる相談の輪~AIではなく誰かに相談することの「意味」
はじめに
ついに最終回となりました。これまで私は、あの手この手で相談することがいかに良いことなのか語ってきました。
しかし、こんな風に内心思う人もいるのではないでしょうか。「それは良い聞き手に恵まれている人だけの話では?」と。
たしかにそうかもしれません。私がこれまで描いてきた聞き手像は、否定せずに鏡のように話を聞いてくれ、共有できる体験を持っていて、受け止めてくれて、しかも有益なアドバイスをしてくれるような人物でした。
ただ、相談相手がどんな風に聞いてくれるのか、どんな反応をしてくれるか、は事前には分かりません。そのため、相談しづらい場合もあるでしょう。下手したら傷ついてしまいかねないので、躊躇するのも当然です。実際、相談するのをためらう要因として「否定されたらつらい」「甘えすぎ、と一蹴されるかもしれない」「そんなことで悩んでいたの?と思われたら悲しい」「こういう状況を知られたら恥ずかしい」などという声はよく聞こえてきます。
しかし、これこそ誰かに相談することの「意味」に他ならないと私は思うのです。この理由について考えてみましょう。
AIに相談すること、人に相談すること
ここで、人ではない存在、今やすっかり私たちの生活に欠かせないものとなったAIと比較する形で考えていきましょう。
皆さんはAIを利用されていますでしょうか。私は、新しい分野の勉強や外国語を読むために頻繁に利用していますし、買い物や料理の時にも頼りっぱなしです。AIは私たちのニーズに沿った回答を最大限提供してくれるだけでなく、際限なく付き合ってくれるタフな相棒でもあります。
人に相談するよりもAIに相談する方が安心できるという人もいらっしゃるでしょう。傷つく心配もないし、相手のことを気づかう必要もないからです。実際、私がこれまで関わってきた相談者の方の中にも、AIに壁打ちのように悩み事をぶつけて、思考や感情を整理している方は少なくありません。
それにもかかわらず、私は「人に」相談することの良さをお伝えしたいのです。
人に相談すると、上手く伝わらないことや、誤解されることがあります。それは時に否定され、傷ついたり、失望に終わったりすることもあるでしょう。
しかし、上手く理解されなかったり、誤解されたりした時、私たちの悩みや苦痛は、そこで初めて変化の兆しを持ち始めます。
例えば、「どういう意味?」と聞かれたり、誤解されたり、否定された時は、私たちはより分かりやすく説明しようと言葉を絞り出します。「いや、そうじゃなくて、〜〜ってことだよ」と追加して説明しようとします。
ここで大切なのは、「もっと伝えたい」という気持ちが出てくることです。AIに誤解された時も私たちはより正確な情報を与えようとしますが、人に誤解された時は、「この人に分かってほしい」という情緒的な欲望が生まれます。
そうした欲望は、「なぜこの人はそう受け取ったのだろう?」という問いへとつながります。人の誤解の背後には、その人固有の経験や感情、価値観があるため、「どんな気持ちでそう聞こえたのだろう」と想像することとなり、相手への関心が深まっていきます。
人に相談し、時に誤解されるという経験は、自己理解を深めるだけでなく、他者のこころを想像する力を養う機会にもなるのです。
他者の心を想像することを、専門的には「メンタライゼーション」と呼びます。これは健康な心や健全な人間関係を育む基盤となる力です。
そうした力が育まれ、お互いが相手の意図や気持ちを想像し合う中で、より深く分かり合えることにつながれば、それはかけがえのない喜びと言えるでしょう。
相談の輪が広がっていく
そうして築かれた関係は、やがて、お互いに相談し合えるものへと育っていくこともあります。つまり、相手が自分に悩みを打ち明けてくれる土台が生まれることもあるのです。
AIが自身の悩みをユーザーに打ち明けて相談してくるということはありません(設定次第では可能かもしれませんが)。相談し、相談されるという関係は、人間同士にしか成立しないのです。
以上のような理由から、私は誤解されることや否定されることを恐れず、勇気をもって誰かに相談することをお勧めしたいと考えています。
相談し、相談されるという関係が広がると、おのずと互いが互いを支える関係が広がっていくものです。私はそうした相談の輪が広がっていくことを切に願っています。
私が6回の連載で最もお伝えしたかったことは、このことに他なりません。ここまでお付き合いくださいました皆様に心より感謝申し上げ、このコラムを締めくくらせていただきます。