相談相手が「鏡」になると、自分のこころが見えてくる

はじめに

前回は、悩みを「言語化」することの意義についてお話ししました。言葉にすることで、こころの中にあったものが外側に置かれ(外在化)、少し冷静に見つめられるようになる。これが相談の第一歩でした。

しかし、一人で言葉にするだけの場合と、誰かに伝える場合とでは、大きな違いがあります。例えば、誰かに悩みを相談した後、「なんだか気持ちが楽になった」という経験はないでしょうか。悩みが解決したわけでもないし、何かアドバイスがもらえたわけでもないにもかかわらず、気分が晴れているような気がする。

誰かに話を聞いてもらうと、不思議なことが起きるのです。単なる言葉のやり取り以上のものがそこにはあります。一体それは何なのでしょうか。今回は、その“からくり”を心理学の視点から探ってみたいと思います。

キーワードは「鏡」です。

「鏡」の力

私たちは、自分で自分の姿を見ることはできません。少なくとも、他人が自分を見ているのと全く同じように見ることは絶対にできません。

しかし、鏡に映った自分の姿を見れば(あるいは、自分が映っている写真を見れば)、それを介して自分がどんな外見なのかを知ることができます。「今日の前髪はいい感じ」、「最近ちょっとやつれたかしら」という具合に。

実は、それと同じようなことが他人に相談する際に起きています。

例えば、職場で辛かった出来事について友人に話している場面を想像してみましょう。友人が、一通り聞いてくれた上で、「一生懸命がんばっているのに、あまり評価されてないのかな。それは悲しいねぇ」と言ってくれました。それを聞いたあなたは思わず「そうなのよ、悲しかったのよ!」と言いたい気持ちになる。

元々職場で悲しい思いをしていたことは事実ですし、あなたも何となくは自覚していました。相談相手の指摘によって気づいたわけではありません。それでも相手から反応をもらうことによって、自分のこころの中にあった感情がありありと実感できるようになるのです。

この時、相談相手の反応は鏡の役割を果たしていると言えます。鏡に映った自分の姿を見て、自分の外見を把握するのと、まさに同じことが起きているのです。

困っていることや悩みごとを他人に話す。すると、何らかの反応が返ってくる。その反応を見て、こころの中にあった感情や考えの輪郭が、よりはっきりと描かれるようになる。さらに、他人の言葉で聞くことによって、少し距離を置いて眺められるようになる(これは「言語化」に続く、さらなる「外在化」と言えるかもしれません)。

このような“映し返し”の交流が人に相談している時に生じているのです。だからこそ、相談することで気持ちが整理されるのです。

鏡にも色々ある

アドバイスや解決策が無くても、ただ聞いてもらうだけでこころが軽くなる。これは多くの人が経験していることでしょう。

「辛かったですね」、「ありえないと感じたのね」、「それは大変だったなぁ」。そういう一言にどれだけ救われるでしょうか。シンプルな言葉であっても、それがあなたの気持ちをちゃんと受け止めた上で返ってくるものであれば、不思議とこころが軽くなります。もっと言えば、オウム返しのように、言った内容をそのまま返すような応答でも、あるいは、「ふむふむ」とうなずきながら聞いてもらえるだけでも、同じような効果が生じることがあるでしょう。

ただ、どんな相手に話しても、同じように楽になれるわけではありません。

聞く耳を持ってもらえなかったり、無視されたりしてしまうと、どうなるでしょうか。勇気を出して悩みを打ち明けたのに、「考えすぎだよ」と一蹴される。真剣に話しているのに、相手はスマホから目を離さない。あるいは、「そういえば、私も思い出したんだけどさぁ」と自分の話にすり替えられてしまう。

人に相談したことで、かえってモヤモヤが増したというような経験は誰しもお持ちのことでしょう。

そういう時は鏡が曇っていたり、歪んでいたりすると言えるかもしれません。鏡がちゃんと機能していなければ、自分の姿は見えません。それどころか、「自分の感じ方がおかしいのだろうか」と、自信が揺らいでしまう場合さえあるでしょう。掲示板やSNSで誰も反応してくれない時に悲しいのも、そこに「鏡」が見いだされないからです。

同じ悩みでも、話す相手によって、楽になったり、かえって辛くなったりする。その違いは、「鏡」の違いなのかもしれません。

では、どんな相手に話すと、より気持ちが整理され、こころが軽くなるのでしょうか。そして、その時、私たちのこころには何が起きているのでしょうか。

次回は、そのあたりをもう少し掘り下げてお話ししたいと思います。