悩みや”モヤモヤ”、まずは「こころの外におく」


はじめに
はじめまして、臨床心理士・公認心理師の堀川と申します。普段は都内の小さなカウンセリングオフィスで働いています。
他にも、精神科クリニックでカウンセリングや心理検査を行ったり、大学で若い学生たちを指導したりしています。
これから始まる6回連載式のコラムを担当することになりました。
テーマは、「相談すると、どうしてこころが軽くなるのか?」です。
悩みやモヤモヤを抱えてはいるけど、まだ「TOKYOメンターカフェ」で相談するには至っていない方々に向けて執筆するよう拝命しました。ですが、日頃からメンターカフェでよく人に相談されている人や、相談するつもりはそもそもない人にとっても発見があるようなコラムを目指したいと思います。
誰かに相談をして悩みが解決したりしなかったり、あるいは、気持ちが軽くなったり、むしろ悩みが深まったり、そういう経験は誰にもあると思います。
6回にわたり、臨床心理学の理論をかみ砕いて紹介したり、私のこれまでのカウンセリングの経験などをお話したりするつもりです。これを読んで、誰かに相談してみようかな、人に相談するのも悪くなさそうだな、と思える人がいたら心理士として望外の喜びです。
第1回目「言語化」
さて、第1回目のテーマは「言語化」です。自分の心の中にあるもの(この場合は悩みやモヤモヤ)を言葉で表現すること。これは相談するうえでの基本であり、最も重要なポイントです。
「当然だろう」と思われた方もたくさんいらっしゃるでしょう。誰かに困っていることを伝えようとする場合、ほとんどは言葉を使って表現するからです。
もちろん、優れた芸術家であれば、絵画や音楽でこころの内側を雄弁に物語れるかもしれません。あるいは、非凡な役者ならちょっとした表情やしぐさで、言葉以上のメッセージを伝えることも可能でしょう。
ただ、もっとも普遍的な形で、誰もが発信し、受け取ることができる媒介は、やはり「言葉」です。そして、この言語化とは、人間が持つ能力のなかでもとびきり優れたものの一つで、私たちが大人になる過程で身につけてきた力なのです。
たとえば、赤ちゃんは何かを伝えたい場合、泣くしか方法がありません。そもそも「何かを伝えたい」とすら思ってないでしょう。ただただ不快な感覚があるだけかもしれません。赤ちゃんでなくても、悩みや不安、モヤモヤを表現するために、叫んだり、暴れたり、ときにはモノや人を傷つけることは大人でもできます。ただ、そういう表現はなかなか他人には伝わるものではありませんし、そもそも悩んでいるその人も自分が何に苦しんでいるか、はっきりとしないでしょう。
それに対して、言葉で何かを訴えるときは、本人がそれについてある程度わかっている必要があります。
ここにポイントがあります。人に相談しようとするとき、必ずそれを言葉にする必要があり、その言葉を紡ぐ作業をしているうちに自分自身の理解が進んでいくのです。

深刻な悩みがあって、誰かに話しているうちに気持ちが整理されて、解決の糸口が見えた、なんて経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
それは言語化によって、こころの中にあったものが、一時的にこころの外におかれるからです(心理学ではこの作用をずばり「外在化」と言います)。
外側におくことができると、いったん自分のものから離れるので、一歩引いた場所から、少し冷静に自分の悩み事やモヤモヤを見つめることができるのです。
そうしているうちに、自分の気持ちや考えが多少整理されて見えて、場合によっては気持ちが軽くなることさえあります。あるいは、自分には複雑な複数の気持ちがあることに気づくかもしれません。考えていることが論理的に破綻して、矛盾していることに気づく場合だってあるでしょう。
たとえば、ある人のことが怖くて距離を置きたくて嫌いでしょうがないけど、どこか放っておけない気もする。それに、見捨てることで後から罪悪感に苦しみたくない、などなど。
また、あるときには、言葉ではどうにも表現できないけれども、でも何かがある、という難しい状況にいることを発見するかもしれません。
いずれにしても、思いがけない自分の考えや気持ちに気づかせてくれるのは、ほかでもない言語化の力によるものなのです。

なんと第1回は、「相談する」以前の言語化の話を書いていたら紙幅がなくなってしまいました。それでも構いません。言語化は相談の第一歩だからです。
次回からは、いよいよ「他人に」相談することの効果についてお話ししたいと思います。