規約違反の報告はこちら 違反理由※必須 誹謗中傷・差別的な投稿 公序良俗に反する投稿 個人情報の投稿 肖像権・知的財産権を侵害する投稿 わいせつな投稿 営業・営利目的の投稿 悪意のある投稿 行政への意見・要望に関する投稿 その他 該当トピック 該当文章 私は責任感をもって何かをしたことなど一度もありません。 投げ出さなかったことも一度もありません。 その逆は常にしてきました。環境は盗めるものを盗んだら乗り捨ててきました。 現実に危険な人間と接してきて、いつどこで何を奪われるか考えて生きてないと、何かあった時今度は世間が勝手に面倒になって呆れて見放してくるのに、私が落ち着かなければならない理由がわかりません。 いわゆる認知の歪みが多少あるだろうことは自覚がありますが、例えば虐待の場面だったとして、なぜ殴られているほうが落ち着かなければならないのでしょうか。 落ち着くのは、マインドフルネスを自分自身に施すべきは私ではないんじゃないでしょうか。 私は虫のいるところで虫除けスプレーを使っているだけです。その副作用で疲れているだけです。使いすぎにしろ最低限にしろ、当然の対処としてやっていることです。おかげで自分の命を自分で守れているのに、どこが自分で自分を追い詰めているんでしょうか。 自分を追い詰めているのは、自分が虫になっていることに気づかず人の血を吸おうと躍起になっている、虫除けされたら「突き放された」「バカにされた」と思い込み仕返しを考えて執念を燃やす、加害者たちではないですか? 彼らこそが私に「下でいてほしい」という自分自身の欲の被害者なんですから。 つきさんだけでなく皆の言いたいことはよくわかります。要は加害者はここにおらず、捕まえて注意をしたり、仲裁をすることなどできないから、苦しんでいる私しか目の前にいないから、「何か言ってやらなければ」「何か力になれることを、気の利いたことを」と考えた結果、『私が何かしなければならない』かのような話に向かっていってしまうんですよね。 守ってくれとまでは言いません。 (傲慢な言い方になってしまって心苦しいですが)この構造自体を分かってくれる人が、私に指摘されるまで気づけない人しかいないから苦しいんです。そのことさえ解消されている世界なら、一人で心を頑なに保つ必要がないんです。 その他、自由記入欄 この内容で送信する