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最近お友達を亡くしました

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友人が亡くなった。

 

彼女は幼いころ、父君の手ほどきで書道を教わったが、その後は都立高等学校時代の書道の授業以外は、ほぼ独学だったと聞く。

書道の講師で身を立て、日々を墨の香りの中で書いて…書いて…やがて、自己の表現に目覚めていった。27歳のとき、心を込めて書き貯めた書を銀座の鳩居堂に並べて開いた最初の個展、しかし、それは「根なし草」と、無残な酷評を受けてしまう。

 

それでも、彼女は、自分の表現をやめることはなかった。

第二次世界大戦がおさまり、世界の人々の心が芸術を求めるころ、そんな彼女の作品が最初に射抜いたのは、海外のバイヤーの心だった。

満を持し44歳の彼女は単身米国に渡り、ニューヨークを拠点に、墨による抽象画を創作しながら、北米大陸や欧州で個展を開いて注目を集めた。

すっかり墨象画家としての、国際的画名を確立した彼女だったが、墨での制作にとって乾燥した空気は間合いがとりにくいと、日本の気候を選び、以後は東京のアトリエから発信を続けた。

書画制作の傍ら、彼女は、既成の枠にとらわれない、みずからの自由な生き方をつづったエッセイも発表し、66歳で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。数々の著作が話題を集め、108歳を過ぎる来月には終活とも思えるエッセイ集が出版予定だった。それらは、実のところ日本で最初の女性の「おひとりさま文学」でもあった。

凛と自律する澄んだ文体、なのに会うとお茶目で、軽く着崩した着物姿は常に粋である。

あぁ…彼女はなんと素敵な100歳超え女子だったことか!

あっぱれ天寿!とは思うものの、寂しさと一抹の後悔は残る。

最近はコロナで外出もままならず、おしゃべりの機会が減り、なかなか寂しくしておられたと今になって聞く。とはいえ過去には、お電話すると、数時間越えの長話になった。

なので、時間を確保し、予定を空けてから…という気でいて、ひいては自分が掛けずとも、人気者だし、かえって創作の邪魔になるまいよと、私も我慢していた。そして気付くと一年以上お話ししていなかった。

もう、あの楽しげな声で名を呼ばれることはない。

4月には横浜で個展が開催されるようだ、covid-19の状況次第では出かけてみよう。